いいちこのマーケティングと本格焼酎のこれから 講師 西太一郎様(三和酒類株式会社 会長)
講演会の内容 (※西太一郎会長の講演を要約したものです。)

■三和酒類の生い立ち

三和酒類は、大分県宇佐地方にある複数の日本酒蔵が集まってできた会社で、元々は日本酒を造って販売していました。消費者との距離を短くしたいと考え、問屋などを通さずに300程の酒販店様と直接取引していましたが、当時の酒類業界は値引き合戦があまりにも強く、業界自体の破壊が進んでいました。そんな中、三和酒類も風前の灯火となり、日本酒だけでは商売が成り立たない状態にまでなったので不退転の気持ちを持って、新しく「焼酎」造りに着手したのが始まりです。

■「いいちこ〜下町のナポレオン〜」誕生
大分県は、もともと日本酒圏でした。そんな中、昭和49年に当時の焼酎業界では信じられない活気的な発明を「二階堂(大分の焼酎メーカー様)」さんがしました。当時の焼酎は全て米麹で造るのが当たり前の中、麦麹を使用して焼酎を造ったのです。当然、評判を呼び今の大分焼酎を確立するまでになりました。三和酒類もちょうど「焼酎」造りに着手しようと決めた頃でしたので、大分の焼酎である、麦麹を使用した焼酎「いいちこ」を昭和54年に発表しました。しかし当時は、会社として全くお金が無い状況の中でしたので、「いいちこ」を売り出す為の方法を考える必要がありました。そこで利用したのが新聞記事です。まずは「いいちこ」の情報は洗いざらい出して記事にします。そして焼酎のネーミングを一般募集することで記事にする。名前が決定して記事にする。そして売り出す事で記事にする。と徹底して新聞を活用しました。そこで生まれたのが「いいちこ」というネーミングだったのです。「いいちこ」とは実は宇佐地方の方言で「良いですね」という意味です。方言を採用するのは全国でも初めてのことだった思います。今までは全く無かった発想をしたわけです。当時全国的に展開されていた村おこし運動の一環にもなりました。その副産物として「下町のナポレオン」という言葉も生まれました。今でこそ良いネーミングだと言われていますが、当初はほとんどの人から「ふざけすぎている」との評価を受けました。日本橋のデパートからもそれが理由で断られました。実は「いいちこ 大分麦100%焼酎」というネーミングに変えた事もあります。しかし、広島の酒販店さんから「下町のナポレオン」が良いとの声を頂きまた戻したのです。

■メーカーに徹する
その頃、会社としてはどうしても「いいちこ」を広めたいとの思いから、販路の拡大をはかる為に問屋との付き合いを行うようになりました。また「いいちこ」を広げる為には、お客様にリピートして頂ける焼酎である事が不可欠であると、自分達はメーカーに徹して、質の高い商品を提供し続ける事に力を注ぎました。ラベルには電話番号を明記し消費者の声を直接集め、商品の質向上に努めました。そんな中、いいちこのデザイナーとの貴重な出会いもあって、「人と人」「人と自然」の関係を豊かにする事が三和酒類の役目であると考え、その為に会社は継続しなければならないと考えるようになりました。利益追求はその為の手段に過ぎないという事です。「人と人」「人と自然」の関係を豊かにする為には、焼酎の元になっている「水」がキレイでなければならない、その為には無駄なゴミを出さない事が前提になってきます。無駄なゴミを省く為に、商品アイテムを絞りその中で差別化を図っていく事を大事にしました。その結果、「いいちこ」の新しいマーケティングスタイルが確立できたように思います。
それは、「暮らしの良さを提案し、そして、おいしい物を作る」という事です。

■「いいちこ」の広がり
現在「いいちこ」は、お陰様で全国的に親しまれるようになりました。それには転勤族による口コミの効果があったと言われています。九州で働いていた人が転勤になり、新天地で「いいちこ」を求めてくれた結果、普及していったという事です。
私達が「いいちこ」を展開したかった大分県別府市は既に「二階堂」が大きなシェアを持っていました。そんな中に飛び込んでは、値引きによる競争が始まることは分かっています。過去の経験から値引き合戦での販売は行いたくなかった私は、別府を諦め、市場として北九州に目を付けました。その結果、北九州で飲まれるようになり、広島で普及し、東京で広がり、大分に帰ってくる形になったのです。

■会社発展の5つのハードル
会社が発展していく為には、新規参入が不可欠なものであり、それには乗り越えなくてはならない5つのハードルがあると思います。まず、1点目に「値引きをしないで広めていく」という事です。この点で「いいちこ」展開の市場に北九州を選びました。2点目に「他社依存をしない」事です。流行した商品の「もどき商品」を作っても一時的なものにしかならず、必ず衰退していきます。「いいちこ」は金ラベルを採用しました。日本酒の世界では特級酒のランクにあたりますが、当時の焼酎では有り得ない独創的な商材開発だったのです。3点目には「市場依存しない」事です。会社を経営していると、グループを作りたがり、そのグループを全て自分のものにしたくなります。しかし、会社がよりグローバルなものになると、自分のグループよりも大きなライバルが出現してきます。4点目は「社会依存しない」という事です。会社もある程度規模が大きくなると、そこで働く人は、自分の気持ちいい事だけをやりたがります。自分の気持ち良い事だけをやる役員・社員が増えるとその会社は終わってしまいます。だから三和酒類は、今までもこれからも「より良いものをつくることに専念」という事だけに集中してやっています。5点目のハードルは「文化依存しない」ということです。会社というのは、長く続け「老舗」と呼ばれるようになりたいものです。ですが、「老舗」の中にはマンネリという落とし穴が待っている事があります。
西太一郎様
西 太一郎(にし・たいちろう)
昭和13年大分県宇佐市生まれ。昭和35年東京農業大学醸造学料を卒業後、三和酒類入社、平成元年代表取締役社長を経て平成9年10月代表取締役会長に就任。「環境」「暮らし」を大切にする思いを「水を大切にする」に集約した企業理念や、社会文化学雑誌「季刊iichiko」の発刊など独特の企業文化活動でも高い評価を得ている。趣味は商業美術やクラシックカーなど多彩。
講演の様子
講演する西太一郎様
話に聞き入る来場者

[活気みなぎる展示会場] [展示会の一日]

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