お蔵探訪記
株式会社奄美大島開運酒造

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渡 悦美 様
株式会社奄美大島開運酒造 研究室次長 渡 悦美 様にお話を伺いました。
黒糖で地元に貢献したい

焼酎造りに携わるようになったきっかけとは?
「もともと私は徳之島の出身で、幼いころからサトウキビ畑に囲まれ、黒糖の匂いがぷんぷんする中で育ちました。しかし、当時はサトウキビだけでは生計を立てられないのが現実。大学生の頃、何か地元に役立つような研究をしたいと思い、栄養学を学ぶ中で黒糖の鉄分に注目して卒論をまとめました。黒糖に含まれる鉄分は通常の鉄分よりも体に吸収されやすい形で存在しています。女性の貧血改善として砂糖の代わりに黒糖を使いましょうという栄養指導を行ったこともあります。
 そして大学卒業後は県の職員として働いた後、奄美観光ホテルを経営する渡家の慶彦さん(現社長)と結婚しました。その数年後にホテルが戸田酒造から製造免許を譲り受けることとなり、慶彦さんの父であり、当時社長の博文さんから「黒糖焼酎造りをやってみないか」とお誘いを受け、自分が研究してきたことが活かせることになりました。」

渡 悦美 様
素人集団からのスタート
 

どのようにして焼酎造りを習得されたのですか?
「製造免許を譲り受けたものの、その当時造り手は全くいない状態だったんです。外部から杜氏さんを呼ぼうとしても、当時は今よりも交通の便が不便だったこともあり、人材確保に難航しました。そこで、まずは自分たちで焼酎を造り、身内に造りのノウハウを持っている者がいた方が良いのではないかということで、私を含め数名のスタッフ(当時はホテル従業員の方々)で鹿児島県工業技術センターへ3ヶ月間勉強に通いました。
 また、当時の私のもう一つの使命は、造りに関しての人脈を作ることでした。そんな中私は鹿児島のとある蔵元の杜氏さんに出会い「焼酎造りは体感するのと同時に分析値の数字を照らし合わせることも重要」と教わりました。幸い私は大学で食品を扱う研究をしていたので、焼酎造りも全く畑違いでは無いのだと実感しました。 そして試行錯誤を繰り返しながら、製造担当として新しい社員を数名入れてやっとのことで焼酎造りがスタートしました。」

素人集団からのスタート
女性が飲める焼酎を造りたい

造りの技術を身に付けられ、どんな焼酎を造りたいと思われましたか?
「これまで焼酎は男性が飲むものというイメージが強かったのですが、私たちは女性が飲める焼酎を造りたいと思いました。減圧蒸留で蒸留することで味わいをマイルドにし、女性が好む“香り”を引き出せるようにしました。また、音響熟成という手法にも着目し、原酒と割り水がなじみやすくするため、タンクにクラシック音楽が流れるスピーカーを設置しました。そして、女性をターゲットに置くということで、見た目にも徹底的にこだわりました。焼酎瓶は茶瓶が主流の中、私たちは海のように輝く青い瓶をセレクトしました。瓶業者さんには驚かれると同時に本当に売れるのかと心配されました(笑)他にも、キャップの色やラベルのデザインも社員で意見を出し合いながら決めていきました。困難なこともありましたが、今では皆で一つのものを作り上げていったことはとても楽しかったように思います。 「れんと」売り出し当時はなかなか販路が見つからず、悩んでいた時期もありました。そんな中、縁あって九州の問屋さんと出会い、れんとを全国へと広めることが出来ました。 素人だからこそ活かされたアイデア。そして必要な時に必要な人々との出会いとサポートがあったからこそ、今の私たちがあるのだと感じています。

女性が飲める焼酎を造りたい
更なるステップアップを目指す

焼酎ファンへメッセージをお願いします!
「当社は他の蔵元さんに比べ設立15年とまだまだ若い蔵元ですが、消費者の方々を始め、多くの方のサポートのおかげで今も焼酎を造り続けることが出来ています。本当に良いタイミングで必要な時に必要な人材、大事な人と出会ったからこそ今があるのだとつくづく実感しています。そんな皆様に恩返しするためにも、現状に満足することなく、これからもさらにステップアップしていきたいと思います。

更なるステップアップを目指す

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