お蔵探訪記
西平酒造株式会社

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西平 功 様
西平酒造株式会社 代表取締役 西平 功 様にお話を伺いました。
泡盛造りからの転身

昔は泡盛を造っていたそうですが、黒糖焼酎造りへの転身の経緯とは?
「当社は明治年間創業の沖縄那覇の泡盛メーカーが始まりです。 泡盛が奄美で売れていたので、奄美でも造ってみてはと考え、私の祖父母が奄美の東にある喜界島に移り住み泡盛を造り始めたそうです。 その後、戦争の影響で蔵が全壊し、現在の名瀬に移り済んだ頃から黒糖焼酎造りが始まりました。」

西平 功 様
伝統ある蔵を守りたい
 

西平社長が焼酎造りに携わるようになったきっかけとは?
「中学生からは全寮制の学校に入学し、その後も東京の学校に進学するなどしましたので、若い頃は長い間焼酎造りの実家から離れて生活していました。大学では醸造学を学びましたが、当時は実家を継ぐつもりもありませんでした。しかし、伝統ある蔵を長年支えてきた父が倒れてからはその意識は変わり、自分がこの蔵を守らなければと決心するようになりました。」

伝統の蔵
奄美の歴史文化を発信したい

焼酎造りを通して、やりがいを感じる時はどんな時ですか?
やはり当社の製品に長年のファンがついてくれていることでしょうか。また、新しい製品が出た時にパッケージデザインや酒質を評価する反応がある時も同じくやりがいを感じます。酒蔵は酒を造るだけでなく、文化情報の発信地でもあるべきだと考えています。蔵の隣にある“くらふと村酒造ホール” は元は奄美伝統工業の“大島紬(おおしまつむぎ)”の工場でした。そのような歴史ある場所をなんとか活用出来ないかと考え、改装して現在では“加那”の原酒の貯蔵庫兼、音楽ホールとして活用しています。70名程度が収容でき、島唄やクラシック、津軽三味線など、様々なジャンルのアーティストがライブや録音を行っています。貯蔵酒に音楽を聞かせる蔵は他にもありますが、生演奏ならさらに良い酒質に生まれ変わると考えています。樫樽貯蔵では奄美で最も古い歴史を持っていて、技術面でも自信を持っています。」

くらふと村酒造ホール
奄美の伝統が詰まった製品

「ホールの活用以外にも、島の独特な価値ある文化も広く発信できないかと考え、製品にも工夫を凝らしています。“珊瑚”の一升瓶の裏ラベルには奄美のサンゴ礁の写真を掲載し、澄んだ水色のガラス瓶を通してサンゴ礁の鑑賞が楽しめるようにしています。また、奄美の本土復帰40周年に際しては、軍政下の奄美で使用された「B円」紙幣をモチーフにしたラベルの「加那」40度を発売。2009年の皆既日食の際は地元の特産品である大島紬を取り入れ、泥染めで制作した布ラベルと紬糸の飾りをあしらった記念ボトルを発売しました。黒糖焼酎を通して地元奄美の多彩な魅力を発信できればと考えています。」


全国の焼酎ファンへメッセージをどうぞ!
「酒は世の中に必要なものです。黒糖焼酎を通して飲酒の文化を広く理解してもらう為にも、飲酒の楽しみを拡げていけるような製品を造っていきたいです。全国の焼酎ファンの皆さん!奄美には黒糖焼酎というおいしい焼酎がありますよ!当社自慢の“珊瑚”、“加那”を是非ご賞味ください。」

珊瑚
加那“B円”モチーフ

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